コミュニケーション ⇒ 弁論術
意味:)社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。
「仕事には2種類しかない。ものを作り出す仕事と、人とコミュニケーションをとる仕事だ。」
私が師匠から言われた言葉です。
あるニュースで新入社員に望む能力第一位はコミュニケーション能力でした。
また、コミュ障(=コミュニケーションが上手くない人)という造語もあり、注目度の高さは一目瞭然ですね。
孔子の論語は知っている
そもそも、そんなにコミュニケーション能力って重要ですか?
「巧言令色、鮮し仁(こうげんれいしょく、すくなしじん)」
口先が上手い奴に仁がある者は少ない、という意味ですがこれは昔も今も真理だと思います。
そもそもカタカナ語が原因の一つ
さらに言うと、近年のコミュニケーション能力不足が嘆かれている要因の一つは、カタカナ語の増殖です。
会話は言葉の高速やり取りという、かなり高度な技術です。
もし、会話中一語でも分からない言葉があると脳の処理がだんだん遅れていきます。
そして結局、相手が何を話しているのかサッパリ?な状態に。
さらに日本語は本音と建前を思慮する必要があり、脳の苦労は絶えませんね。
ただし注意したいところですが、話すことにおいては日本語は非常に柔軟で簡単な言語です。
番外編でその辺りもお伝えしたいですね。
術よりも道を
コミュニケーションの言い換えとして、「弁論術」とあげた理由はとても単純です。
あくまで術(すべ)の一つであって、それ以上でもそれ以下でもないのです。
相手に伝達する術なんて弁論以外にも、資料、文字、身振り手振り、表情、匂い、などなど沢山あります。
自分の得意な術で表現すればいいんです!
喋れなくてもホステスNo.1になった人もいらっしゃいます。(筆談ホステスで検索)
さて、最後に一つ提案です。(営業人なので)
術を求めるより、もっと根本であり素晴らしき歴史の結晶である「道」を求めてみませんか?
大和琴馬